2018年11月15日木曜日

等価変換について

等価変換の思想や手法はかなり旧くからあるようですが、結局人間はこの手法を使い技術を進歩させてきたように考えるようになった。

作曲家が言っているのですが、「作曲家の作業も、エディタの要素が存在する」と、これは等価変換をさしているのではないかと考える。

近年圏論が数学の頂点に立つことが目につくようになってきましたが、これも汎化の究極の世界で、直接対象ばかりを細分化(分類)していくよりも、関係(射)を研究することにより、数学的本質を探求していることだと考える。

もちろんシステム開発なんかは、一番当てはまる。
今ではアセンブラなんか使いコードを書いている人は殆どいない。高級言語を使い、CPUやGPUで何を詳細にしているのか解らなくても、プログラムは組めてしまう。今はまだ、システム設計が技術的に確立していないので、各自バラバラに設計がなされているが、近い将来証明がなされた形式手法がかくりつされると信じている。
その時はコーダーは何をすればいいのでしょうか?

AIも今は、NLPでは言語をエンコードして数値にしてから解を求めているが、ドメインを細分化させたり、数値化されない前の情報をもっと使いこなせれば、もっと成功すると考えているようになった。

辞書なんかは、等価変換のほかに何者でもない気がします。
辞書を作成している人達は、意味を説明していると考えていまるのでしょうが、用法なんかも使う側からすると、等価変換で自分の文書の言葉に、置き換えて使うことになります。
又、現実的に辞書に直接載っている言葉では言葉を探せません、近い言葉に置き換えて使っています。

NLPについても、今まで旧来の文法解析等に縛られていましたが、AIのニューロン系のアルゴリズムや統計解析で、文法ばかりではない、「言葉のことは言葉に聞け」のやり方は、等価変換のことを指していると考えられます。

これからは、「等価変換と圏論」の思考を方法論としていこうと考えている。

追記:20181116
言語処理のモデルとして、次のことを考えてみた。
「システムで使われる意味とは、単に意味を示している単語を指すこと」だと考える。
翻訳しかり、文書の内容要約も同じように、別の単語群で指し示すことだと考える。ただし、この時必ず、等価変換が存在している。